各種家紋をご用意しております。
1.【織田信長】 織田木瓜紋:おだもっこうもん
織田信長の父である「織田信秀」(おだのぶひで)が、尾張国の守護大名で主君でもあった「斯波氏」(しばし)から下賜(かし)されました。奈良時代に、唐(当時の中国)から日本に伝わったと言われる、「木瓜紋」(もっこうもん)が織田木瓜のもとになります。
木瓜紋は、木瓜(ぼけ)の花、胡瓜(きゅうり)の切り口などの図案化です。
(サイズ:天地35mmx左右35mm)
2.【豊臣秀吉】 五七桐紋:ごしちのきり、ごしちぎり
織田信長より拝領し、以後用いた家紋です。本来、桐紋は菊紋に次ぐ名誉ある紋として尊重されていたが、室町幕府のころから徐々に皇室から臣下、さらに戦国大名へと下賜されていった。
豊臣秀吉は「太閤桐」紋を新たに創りながら、桐紋を配下武将たちに下賜。そのため西日本では桐紋が多く見受けられます。
桐紋」はもともと菊紋とともに天皇家のみが使っていたものでした。桐紋の「桐」とは、古代中国の神話に出てくる鳥・鳳凰が止まる木とされていて、昔から神聖なものとして扱われていたそうです。
やがて、桐紋は天皇家のみならず有力な武家も使い始めるようになります。
秀吉が桐紋を使い始めたきっかけも、信長からこの紋章を頂戴したためだと言われています。秀吉が使用していた桐紋には数多くのバリエーションがあるのですが、その中で有名なのは「五三桐」および「五七桐」というものです。
秀吉は、信長の家臣時代は「五三桐」を活用していたのですが、姓を豊臣と改めた時に「五七桐」を当時の後陽成天皇から与えられたのを機に、用いる家紋を「五七桐」に切り替えました。
(サイズ:天地35mmx左右35mm)
3.【徳川家康】 三葉葵紋:みつばあおいもん
家康の家紋は「三つ葉葵」、葵という植物の葉っぱをモチーフにした紋。賀茂祭で用いられた葵は、神聖な植物として扱われてきた。
もとは上賀茂神社の神紋であった葵を家紋にしたのは、家康が新田源氏の流れを汲む加茂神社の氏子として武家源流の威厳を証したかったからだといわれている。家康が使用するようになってから、葵の紋は厳格な紋として厳重に使用が制限されるようになった。
徳川家以外の使用を制限した。
(サイズ:天地38mmx左右38mm)
4.【武田信玄】 四割菱(武田菱)紋:よつわりびし(たけだびし)もん
武田氏の家紋は「四つ割菱」です。戦国武将はメインとして使用する本来の「定紋」のほかに、日常用や状況によって使い分けるための「替紋」を定めているのが普通ですが、武田氏では先述のとおり替紋は用いず、武田菱のみを使ったことが知られています。
サイズ:天地32mmx左右47mm
5.【真田家/真田幸村】 六連銭(六文銭)紋:ろくれんせん(ろくもんせん)もん
もともと、六文銭は三途の川の渡し賃である。そのことから、出陣する合戦において、決死の覚悟でのぞむことを意味すると伝えられる。
(サイズ:天地32mmx左右50mm)
6.【伊達政宗】 九曜紋:くようもん
伊達政宗は戦国武将の中でも多い8つの家紋を使用していたと言われています。九曜紋は、用いた家紋の一つです。
(サイズ:天地35mmx左右35mm)
7.【山本勘助】 左三つ巴紋:ひだりみつどもえもん
由来には諸説ある。勾玉(まがたま)であるという説、弓を射る時に使う鞆であるという説などが代表的。後世、いわゆる渦巻きの意味も持つようになっていく。毛利元就の三男の小早川隆景や時代は変わりますが、新撰組の土方歳三も用いていたようです。
(サイズ:天地32mmx左右32mm)
8.【上杉謙信】 毘:毘沙門天(びしゃもんてん)を意味した旗印
戦の旗印として使用されていた「毘」の文字です。
自身を毘沙門天の生まれ変わり、戦の神である毘沙門天を自分の前世だと信じていた謙信。
戦国時代の最強の武将として毘沙門天と自分自身を重ね合わせて戦に挑んでいたのかもしれません。
毘沙門天(びしゃもんてん)は梵名をヴァイシュラヴァナと言い、持国天、増長天、広目天と並ぶ、四天王の一尊であり、武神です。インド神話の財宝神のクベーラが前身になっていて、『よく聞く所の者』という意味に解釈し、『多聞天』とも呼ばれています。日本では、四天王の一尊として像が安置されるときは『多聞天』と呼び、四天王としてではなく、独尊像として安置するときは『毘沙門天』と呼ばれています。
(サイズ:天地33mmx左右32mm)