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日本史において知らない人はいない「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」の3人。
今からおよそ400年から500年ほど前(15世紀末から16世紀末)、
日本では多くの英雄や豪傑たちが各地に勢力を張り、互いに「覇」を競い合う群雄割拠の戦国時代。
今更、説明すらいらない3人ですが、ザックリとご紹介。



ちなみにホトトギスの句は、性格を表したものだとよく言われています・・・????

三英傑の性格を、鳴かないホトトギスをどうするかという題材で後世の人が言い表している
(それぞれ本人が実際に詠んだ句ではない)。
これらの川柳は江戸時代後期の平戸藩主・松浦清の随筆『甲子夜話』のものです。


織田信長:1534年-1582年 48歳没

「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」


幼少期は、奇抜な衣装を着たり突拍子もない行動をたびたびすることで周囲を驚かし、
うつけと呼ばれ、戦国史上において最大の革命家でもあった「織田信長」。

信長は、戦国時代という日本国内の争いを最大の武力をもって鎮圧します。
自分に従わない人間に対して厳しい態度で臨んだ、比叡山延暦寺の焼き討ち等。

その反面、功績としては楽市楽座、関所の廃止など権利を持っていた商人達を排除し、
新しい商人達に、自由な取引の場を作った。

しかし、完全に天下を統一する寸前に「本能寺の変」にて自害。
果たせなかった天下統一は、豊臣秀吉によって引き継がれます。

数多くの武将の中でも絶大な人気を誇り、戦国において歴史を動かし駆け抜けた
人物であることには、間違いなく、その魅力は人々の心をひきつけ続けています。


豊臣秀吉:1537年-1598年 61歳没

「鳴かぬなら 鳴かせて見せよう ホトトギス」


名門武将の家ではなく農民の倅として生まれ、身分も低かった為、
出生の記録もなく謎に満ちた生い立ちである。

機転が利き、信長に気に入られ、信長の草履を暖めた逸話は有名です。
台所を取り仕切っては、薪の量を減らしたり、石垣修理の際には部下を数組に分け、
早く仕上がった組に報奨を出すことでお互いを競わせ、工期を短縮させます。

厚い人情と器用さで、「人たらし」と言われ、次々と武将たち自分の味方にしてしまい、
その手腕により天下人まで昇りつめた「豊臣秀吉」。

日本史のみならず世界史を見渡してみても、この男みたいに天下統一を
達成するまで出世した人物はいません。

現代のサラリーマンからしたら考えられない出世街道として
いまだに憧れの的であり、私たちの心を魅了します。


徳川家康:1543年-1616年 73歳没

「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」

信長、秀吉の没後、基盤をもとに長期にわたる安定した平和な時代を作り上げる家康。

現代の経営者が社長の手本とする「武将」では、「徳川家康」が一番人気です。

したたかななタヌキ親父のように「ズル賢さ」が伝えられますが、武力至上主義から文治政治の世に
変換させていくには、忍耐強く策略家であり戦術家でなければ舵取りできなかったと
思われます。

長期の会社運営に照らし合わせ、堅実で慎重、それだけでなく先見の明もあり

派手さは無いものの、辛抱強く時代を見据える洞察力も手本となるのかもしれません。

一番の功績は、何といっても「260年の平和」の礎を築き上げたことがすべてを物語っているのでは
ないでしょうか?

時代を生き抜いてきた力にいまだに人気が衰えることはありません。

※歴史には、必ず諸説ありますので参考にして下さい。

※うつけとは「うっかりしている人。ぼんやりとした人。暗愚な人。常識から外れている人。中身がしっかりしていない人。」
等を示す言葉です。

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