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殿好きは、戦国好きです。戦国と聞くとワクワクする人も多い日本男子、最近は、女子も増えているらしい。これも、時代の流れでしょうか?日本の戦国時代(せんごくじだい)は、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代をさしています。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って、守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した時代です。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった時代です。

『我こそは〜っ。かかってこいやー。』の時代です。

応仁・文明の乱以後の乱れた世相を、当時の公家が古代中国の「春秋戦国時代」の乱世になぞらえ「戦国の世」と表現したことに由来すると言われています。

1467年    応仁の乱 戦国の時代に突入。

1493年    伊豆の乱 後北条氏の祖である、北条早雲が伊豆を平定する。

1516年    北条早雲が相模を平定する。※下剋上により戦国武将となった第一人者と言われている。

1527年    斎藤道三が美濃守護大名の土岐氏を追放し、美濃を支配する。

1531年    細川高国が家臣の三好元長に攻められ、自害。

1541年    郡山城の合戦 中国地方で毛利元就が尼子晴久を破る。

1542年    第一次月山富田城の合戦 中国地方の尼子晴久が大内義隆に勝利。

1543年    種子島に鉄砲伝来。

1545年    川越城の合戦 関東地方の北条氏康が反北条連合軍(上杉憲政・上杉朝定)に勝利。

1546年    足利義輝が将軍となる。

1548年    上杉謙信が家督を継ぎ越後の守護代(大名の代理で国を任される)となる。

1549年    足利義輝、三好長慶に追われ近江へ逃げる。三好長慶が京周辺を支配する。
      この頃、徳川家康は、今川義元の人質となり駿府で生活を送る。

1550年    フランシスコザビエル、日本でキリスト教を広める。

1551年    父の織田信秀が病死し、織田信長は、18歳で家督を継ぐ。
               尾張の東半分が信長の支配下となる。

1552年    将軍足利義輝と三好長慶が和睦する。足利義輝は再び京へ入る。

1553年    川中島の戦い 武田信玄と上杉謙信の初めての合戦。
               その後、二人は12年もの間に5回、川中島で合戦をするが、決着はつかないまま終った。

1554年    北条氏康、今川義元と武田信玄と戦う。その後に和睦。

1555年    厳島の戦い毛利元就が陶晴賢に勝利。

1556年    長良川の合戦 美濃の覇者、斎藤道三が息子の斎藤義龍に殺害される。

1557年    毛利元就が大内義長に勝利し、周防、長門を支配下に置く。

1558年    木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)、織田信長に仕える。

1559年    織田信長、上洛して足利義輝と会う。

1560年    桶狭間の戦い 織田信長が今川義元に勝利する。信長の勢力に勢いが増していく。
               徳川家康、今川家から離脱。故郷の三河、岡崎城へ帰る。

1561年    上杉謙信、上杉憲政から関東官僚の職を譲られる。

1562年    清州同盟 織田信長と徳川家康が同盟を結ぶ。

1563年    三河・一向一揆が起こる。翌年には徳川家康がこれを無事に平定する。

1564年    将軍足利義輝が三好長慶、松永久秀らに討たれる。

1566年    毛利元就、尼子義久をついに降伏させる。毛利が中国の覇者になる。

1567年    稲葉山城の合戦 織田信長が美濃の斎藤竜興に勝利。斎藤氏は滅亡する。

1568年    織田信長、北伊勢を支配。足利義昭を奉じて京へ入る。足利義昭が将軍となる。

1570年    姉川の戦い 織田信長・徳川家康連合軍と浅井長政・朝倉義景連合軍の戦い。
     織田信長・徳川家康連合軍の勝利。

1571年    伊勢長島一向一揆 織田信長、一揆衆に敗れる。
     
     比叡山焼き打ち 織田信長、誰も手出しする事のなかった比叡山延暦寺を焼き打ち、
     徹底的に殲滅する。

1572年    三方ヶ原の戦い 徳川家康が武田信玄に戦いを挑むも惨敗。

1573年    足利義昭が打倒織田信長を掲げ挙兵するも信長は浅井、朝倉氏を殲滅する。

1574年    織田信長、伊勢での一向一揆を無事平定する。

1575年    長宗我部元親、土佐一国を支配する。

長篠の合戦
織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼が戦う。この信長は戦で鉄砲を使用し、革命を起こした。織田・徳川連合軍の勝利。織田信長、越前での一向一揆を平定する。

1576年    織田信長、根来、雑賀での一向一揆を平定する。

1577年    織田信長、中国征伐の為に羽柴秀吉(豊臣秀吉)を中国へ派遣する。

1578年    三木城の合戦にて羽柴秀吉が播磨の別所長治を滅ぼす。

1579年    毛利氏に従っていた宇喜多直家が織田信長に降る。

1580年    石山本願寺の顕如、織田信長に降伏し石山本願寺を明け渡す。

1581年    鳥取城の戦い 羽柴秀吉は着々と中国地方を攻略し、毛利氏を追い詰めていく。

1582年    高遠城の合戦       織田信忠が仁科盛信(武田勝頼の弟)の高遠城を攻め、勝利する。

天目山の合戦     
織田軍と武田勝頼が戦い、織田軍が勝利。武田勝頼は自害、武田氏は滅亡。織田氏は甲斐、信濃を支配下に置く。

天正伊賀の乱 
織田信長と伊賀の侍達の戦。忍びの里である伊賀の地を信長が攻めて勝利、伊賀の地を支配下に置く。

本能寺の変         
織田信長が家臣の明智光秀に謀反を起こされ自害する。

備中高松城の戦い   
豊臣秀吉が高松城を水攻めにて攻略。本能寺の変で状況が一変した為、秀吉はここで中国攻めを中断し、毛利氏と和睦して明智光秀の討伐へかう。(中国大返し)

山崎の戦い      
羽柴秀吉と明智光秀の戦。明智光秀は秀吉と交戦した後に逃亡、道中、民に槍で突かれてこの世を去る。

清洲会議        
織田信長の後継者を決める会議が織田家家臣たちによって行われる。信長の孫の三法師が跡継ぎと決まる。この後、織田家は信長の頃の勢いを完全に失い、秀吉に仕えるいち大名となる。  

1583年    徳川家康が甲斐を攻略する。

賤ヶ岳の戦い
織田信長の後継をめぐって羽柴秀吉と柴田勝家が戦う。羽柴秀吉の勝利、柴田勝家は自害する。これにて秀吉の権力が確固たるものとなっていく。

1584年    小牧長久手の戦い 羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄連合軍の戦い。

1585年    四国征伐 秀吉が四国の覇者、長宗我部元親を降伏させる。秀吉は関白になる。

1587年    九州征伐 秀吉が九州の覇者、島津義久を降伏させる。

1589年    摺上原の合戦 伊達政宗、蘆名義広に勝利。政宗は奥州の半分を支配下に置く。

1590年    小田原攻め 秀吉に対抗し続ける北条氏を大軍を率いて攻める。北条氏は滅亡。

1592年    文禄の役 日ノ本を統一した秀吉は海外へと目を向け、朝鮮へ出兵する。

1593年    朝鮮での戦、上手くいかず。日本へ兵を撤退させる。
               豊臣秀頼(秀吉の子)が誕生する。

1595年    豊臣秀次、秀吉に謀反の疑いをかけられるなどし、高野山にて自害することとなる。

1597年    慶長の役 再び豊臣秀吉は朝鮮に兵を送る。

1598年    豊臣秀吉、死去。これにて朝鮮出兵も中断。日本へ兵を撤退させる。

1600年   
関ヶ原の戦い       
東口・徳川家康、西軍・石田三成に分かれ、全国の大名達を巻き込んだ大戦。徳川家康率いる東軍が勝利し、石田 三成は処刑される。実質 徳川家康の天下となる。豊臣家の立場が段々と弱まっていく。それぞれ120万石を領していた上杉氏、毛利氏は西軍に味方してい為、領地をおよそ4分の1も取り上げられることとなる。   
            
1603年    徳川家康、征夷大将軍に任命され江戸に幕府を開く。名実ともに天下人となった。

1614年    大坂冬の陣 徳川軍が大阪城を攻めるが、この戦は和平を結び終結する。

1615年    大坂夏の陣 徳川家康の完全なる勝利。秀頼と淀殿は自害、豊臣家は滅亡した。

豊臣家の滅亡後、徳川幕府のもと約300年平和な時代が続いていく。お見事。

戦国の世は、まさに栄枯盛衰(えいこせいすい)、繁栄と衰退を繰り返し、世の中のはかなさを今に伝えています。ですが、昭和、平成、令和もまた同じでござります。殿〜っ。無常〜っ。

 



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